TIMOTHY SACCENTI

Zoom Magazine
Flying Lotus
Flying Lotus
Tricky
Tricky
INTERVIEW01
僕はいつも音を聴いたときに自分が見る
光景を表現したかったんだ。
まさに「音を見る」という行為そのものをね
自己紹介をお願いします。
「こんにちは! ティモシー・ユージーン・サクセンティです。いつも色々ありがとう」
あなたがディレクター/フォトグラファーとして活動を初めて、どれくらいの期間が経つのでしょうか?
「僕が最初にカメラを手に入れたのは16歳の時、ニコンのF3だったんだ。最初の映像作品をディレクションしたのは2007年のことだったよ」
音楽業界のプロジェクトに関わるようになって、どれくらい経ちますか? あなたが最初に手掛けたアーティストおよびリリースは何でしたか?
「僕が生まれて初めて音楽を聴いたその時から、僕の人生において音楽は非常に重要な存在だった。僕は80年代のマンハッタンの郊外で育ったんだけど、ラジオを通じて当時の音楽カルチャーそのものを体感し、影響を受ける環境にあったことは非常にラッキーだったと思う。僕の両親は2人ともニューヨーク出身だったから、家族でニューヨークの街に行くことも多かったけれど、ほとんど毎日と言ってもいいくらい、夜になるとベッドルームの電気を消して、フロアに寝そべってはKISS FMで放送していた『ニューヨーク・シティ・ベイスド・アーバン・レディオ』という番組を自分のブームボックスで聴いていたね。当時はエレクトロが基盤となったヒップホップ、ワイルドスタイルのブレイクダンス・ミュージックが流行っていた時で、究極に未来的で刺激的に思えたよ。ちなみに、僕が一番最初に買ったレコードはハービー・ハンコックの『ロックイット』。とにかく、あの時代は素晴らしい音楽に溢れていた時代で、“未来を意識する”という美学はその時から僕に根付いているね」
Tricky
Tricky
Ariel Pink
Ariel Pink
Animal Collective “Peacebone”
Animal Collective “Peacebone”
INTERVIEW01
僕はいつも音を聴いたときに自分が見る
光景を表現したかったんだ。
まさに「音を見る」という行為そのものをね
素敵な少年時代ですね。
「僕の人生において、音楽とは常に刺激的な要素だったし、音楽というものを通じて、自分はフォトグラファーになったと思っている。僕はいつも音を聴いたときに自分が見る光景を表現したかったんだ。まさに『音を見る』という行為そのものをね。でも僕はドローイングはあまり得意ではなかったんだよ…。そんな時、コンピューターのように機械に任せてイメージというものを記録できることを発見してからは、やっと自由に自分を表現できるようになった。そして僕のコミュニケーションの一部としてテクノロジーを組み込むことによって、“未来を意識する”ことが実践できるようになったんだ」
あなたの音楽体験について、もっと詳しく聞かせてもらえますか?
「僕はヒップホップの黎明期に子ども時代を過ごしたし、家庭用コンピューターが普及し始めた第一波の世代。さらにアタリ2600(世界初のビデオゲーム会社『アタリ』の家庭用ゲーム機)の世代でもあるし、テクノ・ミュージックの発明も目の当たりにした。僕らの世代にとってテクノロジーとは、人生において単なる付属物的存在ではなく、自分の人生経験そのものを反映するレンズのような存在だった。その後、大学生になってマンハッタンに引っ越したんだけど、オーディオ・アートの領域にどんどん染まっていく中でも、なぜか僕は『自分で音楽をつくろう』という風にはならなくてね。そこで、マンハッタンで沢山のミュージシャンと繋がるようになってきて、彼らがきっかけで最初のポートレイト撮影の仕事をもらったんだ。この時まで僕の作品というのは、おもにエクスペリメンタルで、キリリアン写真(電磁気写真)の抽象的なスチールや景色を題材としたものがほとんどだったんだよ。そんなジャンルからポートレイトという新しい領域に幅を広げていったのはユニークな経験だったけど、僕が最初にギャラをもらう仕事として人を撮影したのは、僕の友人であるマーカス・ラムキンの写真。彼は当時でも最高のテクノ・パーティーをやっていてね。今はシット・ロボットとして、マンハッタンを拠点に<DFA>(LCDサウンドシステムのジェイムズ・マーフィー率いるレーベル)に所属しながら活動している」