Zoom Magazine
Interview with Matthew Cooper
Photos and illustrations by Matthew Cooper Text by: Kohei Ueno Interview by: Hitomi Moro (Qetic)

Interview with MATTHEW COOPER

<ドミノ>はいつでもどこでも人々をインスパイアさせ、
興味津々にさせてしまうレーベルの一つだと思う

Vol.2で一度登場していただきましたが、改めて自己紹介をお願いします。
「ハロー、僕がマシュー(マット)・クーパー。デザイナー、イラストレーターとして活動中だ。妻のアニータもデザイナーで、6歳のマディーと3歳になるサイという2人の子どもがいるよ。北ロンドン在住で、東ロンドンにあるちょっと散らかった個人スタジオで、日々の仕事をこなしている」
alltherage
Cowboyjunkies2
現在の仕事はいつ頃から始めたのですか?
「アート・カレッジでイラストレーションを学び、1988年に卒業して以来はフリーランス。最初は本の表紙や雑誌といったイラストの仕事だね。音楽業界の仕事で最初に手掛けたのは、1991年にリリースされたカウボーイ・ジャンキーズ『ブラック・アイド・マン』のイラストレーションだったと思う」
イギリスでもっとも先鋭的として注目されるインディーズレーベル、<ドミノ・レコーズ>のデザインも手掛けていらっしゃいますよね。レーベル創立時から関わっているとのことで、彼らと仕事をするようになったきっかけは何ですか? 
「僕の友人がBowlfishというバンドに所属していて、彼らが<ラフネック・レコーズ>と契約したのがきっかけだね。ドミノの創立者であるローレンス・ベルが当時働いていたレーベルだったんだ。そこで彼らがアートワークを担当してくれる人を探していて、アートスクールに通っていた僕と、リチャードという僕の友人に依頼があった。1992年のことだったな」
domino_logo
domino_logo_sketches
Royaltrux_catsanddogs
<ドミノ>との一番最初の仕事を教えてください。
「レーベル・ロゴをデザインすることだった。自分がデザインしたロゴが、実際にレコードのジャケットで使われたのを初めて見た時のことは、今でも覚えているよ。セバドーの“ソウル・アンド・ファイア”の7インチだったんだけど、それはもうスリリングな瞬間だったね! 当時の<ドミノ>は、ローレンスのベッドルームで運営されていたんだ。僕も彼の寝室の床に座りこんで、ロイヤル・トラックスのアートワークをスティックのりで段ボールに貼ったのを覚えているよ」
<ドミノ>とそこに所属するアーティストは、あなたをどのようにインスパイアしてくれますか? これまで一緒に仕事をしてきたアーティストも教えてください。
「これまで<ドミノ>の大物から新人まで、ほとんどのアーティストと仕事をしてきているが、本当に僕はラッキーだと思っている。フランツ・フェルディナンド、アークティック・モンキーズ、トゥ・ロココ・ロット、ワイルド・ビースツ、フォー・テット、ヴィレッジャーズ、マックス・ツンドラ、アーデム、アーキー・ブロンソン・アウトフィット、ボニー・プリンス・ビリー、クリニック、ジェームズ・ヨークストン、キエラン・ヘブデン・アンド・スティーヴ・レイド……リストはまだまだ続く。特にラッキーだったと思うのは、僕自身が<ドミノ>に所属しているすべてのバンドのファンであるということだね! <ドミノ>のアーティストのラインナップは本当に折衷的で、次にどんなバンドが出てくるのか想像もつかない。決して飽きることのないレーベルで、いつでもどこでも人々をインスパイアさせ、興味津々にさせてしまうレーベルの一つだと思う」
Lsp_taotu_lp
Ams_fluorescent
ff_wigcd161_bklt_new
ff_wigcd161_tray_out
これまで手掛けた<ドミノ>のアーティストのアートワークで、一番挑戦色が強く、クリエイティヴなプロセスを経たものは何でしょうか? その時のエピソードをお聞かせください。
「フランツ・フェルディナンドの2nd『ユー・クッド・ハヴ・イット・ソー・マッチ・ベター』のアートワークを手掛けた時のことなんだけど、いざアートワーク製作を終えて印刷に出そうというときに、”ウォーク・アウェイ”という楽曲の歌詞が抜けていることに気付いた。メンバーのアレックス(・カプラノス)が、古い教科書に手書きで歌詞を描いて、それをアートワークに使用していたんだが、なぜかその1曲だけ抜け落ちてしまっていたんだ。僕がそれに気付いたとき、フランツのメンバーは丁度ベルギーのフェスティバルに出演していて、周りに何もないような場所にいた。しかし幸運なことに、アレックスが他の曲の歌詞を書いたときに使った同じペンと、似たような教科書も持っていたんだよ。そこで彼は、なんとかフェスの会場でスキャナーを持っている人を見つけてくれた。おかげで、締切直前のかなりギリギリのタイミングで、抜けていた1曲分の歌詞を追加することができたんだ。おそらくアメリカ盤のLPでは、歌詞が抜けたままのものが出回っていたと思うけど、それは相当レアなはずだよ」